unodeagosto’s blog (8月1日のぶろぐ)

なんども繰り返しやってくる、8月1日。

メンタルクリニックの評判はしっかりシェアしたほうがいい

さて、どこへ行くのが最適か。どう決めればいいのか

診断書を書いてもらう前段階で、どこのメンタルクリニックにかかるかってのは、相当重要な問題です。ただでさえ精神的にまいってる状態なので、マインドはへたってるわけですし、自分の状態をしっかり伝えられるだろうか、聞いてもらえるだろうかとあれこれ考えちゃいますよね。

 

僕もメンタルクリニックに通ってます。現在進行形です。自分は東京都内在住で、神保町にあるクリニックに行ってます。そこに行くまでに、道のりがあったので、ほんとメンタルで困ってる人とは、悩みを共有したいし、手助けできることはやりたいと思ってこれを書いてます。文章かなりまとまってませんがごめんなさい。

 

最悪な結果になったとしても、あなたは悪くない

一年前から職場の状況に精神を削られ、この夏に上司からの紹介を受けて、新宿の某メンタルクリニックに行きました。どこか具体名は記事の最後に書きますので、気になる方はぜんぶすっ飛ばして最後見てください。たぶん全国的に知られている名前ではと思います。

 

そこは、上司も行ったことがあるという点で、安心したのが一つ。血液検査をして薬の合う合わないを見ると聞いて、そこも今までにない丁寧さがあるのだろうと感じました。サイトを見ても、医者もたくさんいるということで、相性の良し悪しも解消されると思いました。

結果どうだったか書きますね。最悪でした。若手が明らかに患者をあざ笑いながら対応するところで、二回で行かなくなり、そのあとはこれも人の紹介で、神保町に通っています。

安心するための判断材料はあったんです。でも実際ダメだった。上司も、悪い評判は言ってなかった。つまり上司にとっては悪いところじゃなかったからです。つまり、情報を集めたとしても、最終的にはやっぱり自分で確かめるしかない。

ここで言いたいのは、結果が最悪でも、あなたは悪くないってことです。自分のせいに絶対しないでください。

 

「たいへんでしたね」と労ってくれるかどうかは重要

ついつい、ひどい目にあったクリニックのことを書きたくなりますが、先にどういう観点で選ぶべきかを書きます。それは、「たいへんでしたね」という気持ちで話しを聞いてくれるかどうかです。目を見て話しを聞いてくれるかとか、テクニカルなことはもちろんあるでしょうが、あなたがそう思えるかどうかです。そう思えないのなら、その医者は、それができてないんです。初対面の人の心をつかむって、そういうことなんです。

これは僕が尊敬するセラピスト石井裕之さんの言葉なのですが、その人を守ろうという気持ちがあるかどうかなのです。

 

何が最悪だったか、その日のうちにメモっておこう

最悪の気持ちになって、へとへとになったその新宿のクリニックのことを書きます。そこは新宿だけじゃなく池袋とか渋谷とかあちこちに、グループ院がありました。それだけ店舗拡大してるわけだから、信頼感もあると思うじゃないですか。

ただし、会社でもなんでも、組織というのは大きくなると、問題も生まれますよね。会社なら社員によって、有能かどうか差が現れたり、店舗によっても売り上げの差が生まれたりする。情報共有も全体にするにも一苦労です。僕は、一介のサラリーマンですから、そういうことは日々感じます。

そんなことを考えつつも、メンタルクリニックがこれだけ事業拡大してるって聞いたら、それこそ、うまく仕組み化されてるんだろうと思うじゃないですか。事実、たしかに仕組み化はされてました。

たとえば、アンケートを毎回取っていて、言いにくいことは、それで声を拾えるようにしている。自分の場合一回目の先生に、仕事量に対応できなくなって不安が強くなってきたことを頑張って伝えたところ「そうですか。で、どうします? 会社に仕事量相談するしかないと思いますけど(笑)」と薄ら笑いされたのが、ほんとにつらくて、「薄ら笑いされたのが不快でした。二回目は別の先生にしてください」と書きましたしね。

 

その後、そのメンタルクリニックの院長、文春砲とかいうのに、がっつりやられてましたね。僕、個人的な恨みはまったくないですし、出版してるマンガも面白いと思ってます。でも、クリニックの従業員の対応が残念でした。もう二度と行きたくありません。でもこれは、僕の主観です。しかも新宿しか知りません。でもね、じゃあほかのグループ院ならっていう気持ちにはなれませんでした。

あまりSNSでも悪評が見つからず、どうなってるのかと思ったのですが、文春砲から以降は、悪評が出てきてました。みんな思ってはいたのかと。

 ここまで書いてたら、わかる人はわかるんだろうけど、ゆうメンタルクリニックってとこです。二回行った両方とも、患者はたくさん待合室にいたので、客は多かったんだろうな。本当、辛い目あってる人いないか心配です。

 

あなたの主観でいい、次の誰かのためにシェアしよう

人は自分の体験を話すとき、どうしても理性が働きます。SNSが発達して、情報発信しやすくなったとしても、人間なので心理が邪魔をします。この法則があるように思うんですよね。それは、正しいことを書きたいという心理です。

とくにサラリーマンでふだん、ビジネス文書を書いてる人はこの心理が強く働きます。それは、どう思ったかを書くだけじゃなくて、それはどうしてか、理屈をくっつけなければいけないと思い込むことです。

当たり前じゃないか、と思うかもしれませんが、エビデンスだのファクトだのという会社の風潮が、そこで働き過ぎるというのは心理の罠です。だって、あなた一人の体験を、エビデンスのたしかな意見にするなんて、考えてみたら不自然なんです。

心理学でさえ、ある特定の集団を使って実験した際の結果でしかないんです。たとえば、某大学の学生三百人を集めて実験したとしたら、その集団においての結果だと、はじめに断ってるんです。

意見を聞くほうも考える力があります。あなたが、すべてのエビデンスを揃えて理路整然と話そうとなんかしなくていいんです。理屈の呪縛にとらわれないようにしてください。そんなことよりも、あなたの一つの体験が、誰かの参考になれば、それで十分なんです。ぜんぶをあなた一人が背負って、解決しようなんて思わなくていい。誰か困っている人があなたの部屋にやってきたときに「それは、たいへんだったねえ」って優しく受け入れてあげて、自分の場合はこうだったよ、って。そんなふうに、言葉にへんな重みを持たせないで、誰かに教えてあげてください。

なんだか僕は、そういう優しさの繰り返しが、社会全体を無理なく、よい方向にしていってくれるんじゃないかって思ってます。